大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和54年(合わ)149号 判決 1981年2月12日

被告人 原勲 外一三名

主文

一  被告人和多田粂夫を懲役一〇年に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

二  被告人佐藤一郎を懲役九年に処する。

未決勾留日数中二二〇日を右刑に算入する。

三  被告人前田道彦を懲役九年に処する。

未決勾留日数中四五〇日を右刑に算入する。

四  被告人水野隆将及び同太田敏之をいずれも懲役七年に処する。

未決勾留日数中各四五〇日を右各刑に算入する。

五  被告人児島純二、同中川憲一、同平田誠剛、同山下和生、同小泉惠司及び同中路秀夫をいずれも懲役六年に処する。

未決勾留日数中各四五〇日を右各刑に算入する。

六  被告人原勲、同津田光太郎及び同高倉克也をいずれも懲役四年に処する。

未決勾留日数中各四五〇日を右各刑に算入する。

七  訴訟費用は別紙訴訟費用負担表記載のとおり各被告人の負担とする。

理由

(認定事実)

<被告人らの地位及び犯行に至る経緯>

被告人和多田粂夫、同前田道彦、同児島純二、同平田誠剛、同小泉惠司、同中路秀夫、同高倉克也、藤田雄幸及び若林一男は、日本革命的共産主義者同盟第四インターナシヨナル日本支部(以下「第四インター」という。)に所属し、被告人佐藤一郎、同水野隆将、同山下和生及び石山和雄は共産主義者同盟戦旗派(以下「戦旗派」という。)に所属し、被告人原勲、同津田光太郎、同太田敏之及び同中川憲一はプロレタリア青年同盟(以下「プロ青同」という。)に所属し、いずれも新東京国際空港(以下「新空港」という。)の開港阻止闘争に参加していた者である。

ところで、新空港は、昭和四一年七月位置が千葉県成田市に閣議決定され、翌四二年一月建設工事に着手以来、昭和四七年三月には管理棟などの施設が完成し、同年一一月国際対空通信局が羽田から移転して運用を開始し、また、昭和五二年一二月二〇日には新東京空港事務所も発足し、飛行場管制業務の運用をも開始し、慣熟飛行を実施するなど、昭和五三年三月三〇日の開港(供用開始)を目指して種々の準備作業を進めるとともに、右の国際対空通信や飛行場管制等の業務が行われていた。

これに対し、三里塚・芝山連合空港反対同盟は、新空港はその位置決定手続、用地獲得手続等に違法、不当な点があり、空域、騒音、燃料運搬、関連交通手段などに多くの問題を抱えた欠陥空港であるとして、反対運動を行つてきた。被告人らの所属する第四インター、戦旗派及びプロ青同の三派も、組織を挙げてこれを支援し、昭和五二年一〇月ころから、「空港包囲、突入、占拠」を合言葉に、開港を実力で阻止する構えを見せ、昭和五三年三月二六日から同年四月二日にかけて「開港式粉砕、年度内開港実力阻止現地大闘争」と称する連続実力闘争日程を組んでいた。

<共謀の成立>

昭和五三年三月二五日午後六時ころ、千葉県山武郡芝山町朝倉字越巻四九番地所在の第四インターの朝倉団結小屋のいわゆる女部屋において、被告人前田の指示によつて集合した同派所属の被告人児島、同平田、同小泉、同中路、同高倉、藤田、若林ら一二―三人に対し、被告人和多田は、「闘争は三月二六日から四月二日までであるが、明日が山場だ。明日成功すればあとはやらんでもいい。明日負ければあとの闘争が苦しくなる。福田の開港を大衆的実力闘争で阻止することは、今後の闘争の展開に重要な影響を与え、ここ数年の階級情勢をも決定するものだ。第四インターと共青同の飛躍を担つてやつてくれ。我々はこれに一切を賭けている。明日決行することは三つある。一つは大勢で横堀要塞方向から第八ゲートに向かつて徒歩で攻めて行く戦いであり、その戦い方は絶対にひかない戦いである。二つ目はトラツク部隊による攻撃で高速道路から第九ゲートを空港に向かつて進撃する戦いである。三つ目は下水溝を通つて管制塔に進撃する戦いで、これが一番重要であるので、それは君らにやつてもらう。この三つの戦いはいつせいに決行する予定であるが、君らの任務は重要であり、逮捕は覚悟しなければならない。やりたくない者がいれば今ここでやめてもいい。」旨の指示をした上、新空港近辺の航空写真、縦・横各一メートル前後の写真のような図面及び手書きのような地下排水溝の図面を畳の上に広げて、管制塔の位置や高速道路、横堀要塞の位置などを指差しながら進撃路を説明し、前田ら全員がこれに賛同し、次いで被告人前田が立つて、三番目の戦いである管制塔進撃計画の行動隊長を務める旨自己紹介した後、この闘争は第四インター、戦旗派及びプロ青同の三派共同の作戦であり、具体的な実行方法としては、今晩地下排水溝に潜入してそこで一夜を過ごし、翌日そこから地上に出て管制塔を襲撃すること、管制塔に赴く途中警察官らに阻止された場合の対策として、前田以下の全員を三グループに分け、管制塔突入グループ、同グループに対する警察官の阻止行動を火炎びん、鉄パイプなどであくまで排除し、その抵抗がない場合に初めて管制塔に突入するグループ及び管制塔突入グループを援護しながらすきをみて突入を図るグループの三つに部隊を編制すること、管制塔に上る方法としてエレベーターを使用すること、管制塔内の機械を破壊する等の武器として大ハンマー、バール、ガスカツター、鉄パイプ、火炎びん等が準備してあることなどの指示、説明をし、女部屋にいた被告人ら全員はこれを了承して共同して本件犯行を実行する決意をし、ここに第四インター所属の被告人らの共謀が成立し、その後被告人和多田を除く同派の被告人ら十数名は、あらかじめ用意されていた火炎びん、鉄パイプ、ハンマー、ガスカツター等を手分けして持ち、被告人前田の案内で、横堀の農家に赴いた。

一方、戦旗派では、同日午後六時ころ、同郡芝山町横堀所在の戦旗派横堀団結小屋において、被告人佐藤が、同派に所属する被告人水野、同山下及び石山に対し、「開港実力阻止を行うが、君達は特別任務について、戦旗派の部隊とは別行動をとつてくれ。今夜八時に熱田さんの家に行つてくれ。時間になつたら車で送るから、熱田さん方に行けばインターとプロ青が待ち合わせをしているから一緒に行動してくれ。詳しいことは熱田さん方に行けば分かるから。」と指示し、更に被告人水野に対し、「君がこの三人の中ではリーダーをやつてくれ。」と指名した上、「くつは運動ぐつではなくキヤラバンシユーズがいいだろう。食料と懐中電灯と着替えを持つて行つてくれ。」などと指示し、食料の入つた紙袋、懐中電灯、ヘルメツト等を手渡し、被告人水野ら三名はこれを了承して前記横堀の農家に赴いた。

また、プロ青同では、同日午後五時ころ、同郡芝山町香山新田七三番一号所在のプロ青同団結小屋において、被告人原が氏名不詳の者から「特別任務があるからやつてくれないか。午後七時になつたら行つてもらう場所がある。特別任務はその場で指示する。」旨の要請を受けてこれを引き受け、同様のことを承知していた被告人津田、同太田及び同中川とともに、用意されていた火炎びん、ヘルメツト、懐中電灯、食糧品等在中のリユツクサツク及び鉄パイプをそれぞれ持つて前記横堀の農家に赴いた。

同日午後八時ころまでに、右横堀の農家に右の三派に所属する被告人ら合計約二〇名が集合したが、そのころ右農家の納屋軒下において、被告人前田が、被告人水野ら戦旗派の三名及び被告人原らプロ青同の四名に対し、空港の図面を示しながら、「明日、全員で空港に突入して管制塔を占拠し、管制塔の機械を破壊して開港を阻止する。今夜は下水道に入って一泊し、次の日空港に突入する。管制塔近くのマンホールから出るが、これは人がやつと出られるような小さな穴である。マンホールから出て、走つて管制塔に行く。管制室は一六階にあるが、全員エレベーターで上がる。エレベーターがどこにあるかは分からない。下水道は楽に通れるが、水のあるところがあるからズボンなどはぬれる。これから行動に入るが私語はいけない。タバコは吸つてはならない。懐中電灯をやたらにつけてはいけない。音を立てるな。特に下水道の中では気をつけろ。」などの指示を行い、かつ、三つのグループ分けも行い、被告人水野ら、同原らもこれに応じて犯行に加担することを決意し、ここに、被告人一四名及び藤田ら共犯者全員による三派共同の本件管制塔襲撃に関する共謀が最終的に成立した。

その後、実行に加わらない被告人和多田、同佐藤を除く被告人前田ら約二〇名は、それぞれ火炎びん、鉄パイプ、ハンマー、ガスカツター等を分担所持し、右横堀の農家を出発して成田市木ノ根字神台六六ノ一番地先の新空港内に通ずる地下排水溝の突起口付近に至り、突起口から地下に順次下りるとともに、持つて来た凶器を運び込んだが、途中警察官に発見されたため数名の者が地下排水溝に入ることができなくなり、結局被告人和多田及び同佐藤を除くその余の被告人一二名並びに石山、若林及び藤田の一五名が同排水溝内を徒歩で進んで、同空港内の集水口真下付近に至り、そこで一夜を明かした。

<実行行為>

被告人らは、石山和雄ら数名と共謀の上、

第一  被告人前田、同水野、同太田、同原、同津田、同児島、同中川、同平田、同山下、同小泉、同中路、同高倉、石山、若林及び藤田(以下「被告人ら一五名」という。)が、昭和五三年三月二六日午後一時一〇分ころから同一五分ころまでの間、千葉県成田市大字古込字込前一二三番地所在の地下排水溝の集水口付近から同市古込字込前一三三番地所在の新空港管理棟表玄関ロビー内に至る間において、同所周辺における警戒、警備及び違法行為の規制等の任務に従事中の千葉県警察本部長中村安雄指揮下の警察官らの生命、身体並びに新空港公団総裁大塚茂ら管理に係る右管理棟建物及びこれに設置された設備、機器類等の財産に対し、共同して危害を加える目的をもって、多数の火炎びん、鉄パイプ、ハンマー、バールを準備して集合し、もつて他人の生命、身体、財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して集合し、

第二  一 被告人ら一五名が、管理棟建物及びこれに設置された設備、機器類を損壊する等の目的で、同日午後一時一〇分ころ、前記集水口から新空港公団総裁管理に係る囲繞地である新空港敷地内に忍び入つた上、管理棟内にその表玄関から一団となつて押し入り、もつて故なく人の看守する建造物に侵入し、

二 被告人ら一五名が、同日午後一時一〇分ころから同一五分ころまでの間、前記集水口付近から管理棟表玄関ロビー内に至る間において、前記任務に従事中不法侵入した被告人らを発見して逮捕しようとした千葉県警察本部長指揮下の警察官椎名政和(当時二六歳)外十数名に対し、火炎びん数本を投げ付け炎上させる暴行を加え、もつて火炎びんを使用して右警察官らの生命、身体に危険を生じさせるとともに、同警察官らの職務の執行を妨害し、その際右暴行により右椎名政和に対し、加療約一四日間を要する右手首及び左膝部火傷等の傷害を負わせ、

三 被告人前田、同水野、同太田、同児島、同中川、同平田、同山下、同小泉、同中路及び藤田が管理棟のエレベーターや階段を利用して階上に上り、同日午後一時二〇分ころから同日午後三時三〇分ころまでの間、

(一) 管理棟一四階北西側ベランダ及びマイクロ通信室において、同所に設置された運輸省東京航空局新東京空港事務所長嶋本照夫管理に係る筑波中継所向けパラボラアンテナ、導波管並びに同中継所向け及び山田航空路監視レーダー局向けマイクロウエーブ送受信装置等を、こもごも所携の鉄パイプ等でたたき、火炎びんを投げつけ炎上させるなどしてこれらを損壊し、よつて管理棟六階で、筑波中継所向けマイクロウエーブ送受信装置等を使用して、東京飛行情報区(以下「東京FIR」という。)内の空域を航行する多数の航空機と埼玉県所沢市所在の運輸省東京航空交通管制部(以下「東京ACC」という。)との間の航空交通管制に関する交信を中継するなどの国際対空通信業務を行つていた空港事務所保安部所属の航空管制通信官(以下「管通官」という。)中山傑らをして同装置の使用を不能ならしめ、出力、周波数等の機能が劣る別の送受信装置や手数のかかるダイヤル式商業電話に頼らざるを得なくさせて、右管通官と東京FIR内の空域を航行する航空機との通信連絡を著しく困難にさせ、

(二) 更に引き続き、管理棟一六階の管制室入口扉を破壊しようと鉄パイプ等でたたき、あるいは同所付近に火炎びんを投げ付け炎上させるなどし、よつて同管制室内で成田管制圏内を航行中の航空機に対する通信連絡等の飛行場管制業務に従事していた空港事務所管制部所属の航空管制官(以下「管制官」という。)木島勝彌ら四名をして右業務を放棄して屋上に退避することを余儀なくさせた上、被告人前田、同水野、同太田、同児島、同中川及び藤田において、管理棟一四階のベランダからパラボラアンテナの鉄骨を伝うなどして管制室外側に至り、所携のハンマーなどで空港事務所長の管理に係る同室北西部外壁のガラスをたたき破り、その破損箇所から同室内に立ち入り、空港事務所長管理に係り、管制官らが飛行場管制業務に使用する飛行場管制卓及び地上管制卓等の管制機器類をこもごも所携のハンマー、鉄パイプ、バールなどで手当たり次第にたたくなどしてこれらを徹底的に損壊し、よつて右管制官と成田管制圏内を航行する航空機との通信連絡を不能にし、

もつて火炎びんを使用して他人の財産に危険を生じさせ、数人共同して他人の器物を損壊するとともに、建造物を損壊し、かつ、威力を用いて空港事務所の国際対空通信及び飛行場管制に関する各業務を妨害すると同時に、飛行場の設備を損壊するなどして、東京FIR内及び成田管制圏内の空域を航行する多数の航空機との通信阻害に伴う衝突、墜落等の事故を惹起するおそれのある状態を作り出して航空の危険を生じさせ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(争点に対する判断)

一  供述調書の証拠能力等について

(一)  被告人原ら三名の検面調書の証拠能力及び信用性

弁護人は、被告人原、同中路、同高倉の各検面調書における自白は、検察官、警察官による深夜に及ぶ長時間の取り調べや、黙秘すると刑は重くなるが自白すれば執行猶予になるなどという検察官らの利益誘導による取り調べ並びに被告人の前田が自白したとの新聞記事を示したりする警察官の偽計に基づく取り調べ等によつて得られたものであつて、いずれも任意性がないので証拠能力がなく、また、検察官の強い誘導や作文によるものであつて信用性もないと主張する。

しかし、右の被告人三名を取り調べた検察官や警察官の各供述(証拠略)によれば、弁護人が主張するような利益誘導や偽計を用いたことがなかつたことが明らかであり、この点に関する被告人三名の供述は、検察官の質問に対しては黙秘して答えない供述態度や前記検察官等の供述に照らしたやすく措信し難く、また、深夜にわたる取り調べが行われたこともあつたようであるが、そのことだけで直ちに任意性を欠くとは必ずしも言えず、そのほかに格別任意性を疑わせるような状況もうかがえない。そして、自白をするに至つた動機がまじめなものであること、その供述内容が、事実を具体的かつ詳細に述べているばかりでなく、大筋において客観的事実にも合致していること、捜査官の知り得ない事実をも具体的に述べていること等の事情に照らせば、右被告人三名の自白には任意性も信用性も十分に認められる。

(二)  共犯者藤田ら三名の検面調書の証拠能力及び信用性

弁護人は、共犯者藤田、同若林、同石山の各検面調書につき、そもそも藤田及び若林のような共犯者が供述拒否権を行使した場合には、その者の検面調書は刑事訴訟法三二一条一項二号前段の書面に当たらないものと解すべきであり、また、石山については、公判廷において前の供述と実質的に異なつた供述をしていないし、特信性も立証されていないので、いずれも証拠能力がない上、右三名の各検面調書における供述は、検察官の脅迫や強い誘導等によつて得られたものであるから、いずれも信用性がないと主張する。

そこで検討するに、藤田は、当公判廷において証言を拒否したが、これは刑事訴訟法三二一条一項二号前段にいう「供述することができないとき」に当たるから、同条項によりその各検面調書が証拠能力を有するに至ることは多言を要しないところであり、若林の場合も、同人の検面調書中検察官が証拠申請をした部分に関しては、証言を拒否したものであるから、その各検面調書も同様に証拠能力を有することは明らかである。また、石山の場合も、検察官主張の相違点は十分認められ、加えて、公判廷においては、検察官の質問に対し重要な部分になるとはつきりした記憶がないなどと述べて、かつての同志である被告人らにとつて不利益な供述を避けようとする態度が見受けられたのに対し、検面調書では、その供述内容からしても自分の記憶のとおり正直に供述したことがうかがわれるなど、公判廷における供述よりも信用すべき特別の情況も認められるので、右の検面調書が刑事訴訟法三二一条一項二号後段の書面として証拠能力を有することは明らかである。

そして、右三名の各検面調書の供述は、いずれも、実際に体験した者でなければ分からないような事柄につき卒直かつ詳細に述べているばかりでなく、客観的事実ともほぼ合致しており、供述するに至つた動機などから見て、その供述は十分信用できるものと言える。

以上のとおり、弁護人の供述調書の証拠能力等に関する主張は、いずれも採用できない。

二  共謀について

(一)  被告人和多田の共謀

弁護人は、いわゆる女部屋での「指揮者」が和多田であつたことは証明されていないし、仮に「指揮者」が和多田であつたとしても、同人が前田らに話した内容は一般的な指示あるいは鼓舞にすぎず、これをもつて前田らと和多田の間に共謀が成立したとは言えないと主張する。

しかし、まず、犯行前夜の三月二五日夜、第四インターの朝倉団結小屋のいわゆる女部屋における秘密の集まりで、行動隊長の被告人前田より上位にあると思われる男が、判示のとおり、犯行計画を打ち明け、指示をしているが、その男が被告人和多田であつたことは、藤田の検面調書(証拠略)、下谷一成の供述(証拠略)及び被告人和多田自身その被告人質問において、かなり自由にいろいろ話しているにもかかわらず、右の男が自分とされていることについて一切争おうとしなかつた法廷態度等に照らし、疑問の余地がない。

また、(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告人和多田は、判示のとおり、右の女部屋で、被告人前田ら一二―三人に対し、翌二六日の闘争こそが日本階級闘争のすう勢を決する旨の意義付けをした上、空港一帯の航空写真や地下排水溝の図面等を示しながら、本件など一連の犯行計画を打ち明け、当日は同時多発的に三つの部隊による闘争、すなわちトラツク部隊による第九ゲートから空港内へ突入する闘争、徒歩部隊による第八ゲートから空港内へ突入する闘争、そしてそれと同時に地下排水溝から管制塔へ進撃する闘争を行うが、その三番目の闘争が最も重要であると強調し、これを前田らに担当すべきことを指示し、行動隊長として被告人前田を紹介し、詳しくは前田に聞くようにと言つていること。

(2) 被告人和多田は、右の図面等の一枚を示す際、「これは作るのに大変苦労した。」と述べていること。

(3) その場のふん囲気は必ず実行しなければならないという感じであり、前田らも和多田の右指示に直ちに従つていること。

(4) その場にいた藤田は、和多田の顔をそれ以前に三回ぐらい見たことがあつたが、同人は第四インターの集会で演説したり、デモに参加したりするクラスの人ではなく、それより上のクラスであると述べていること。

(5) 被告人和多田は、右の前田らのグループの中では際立つた年長者であり、その活動歴も著しく長いこと。

(6) 同被告人は、第四インターの機関紙「世界革命」に度々寄稿しているが、その中には「第四インターを代表して」謝辞を述べているものもあること。

(7) 被告人らの最終意見陳述に際しては、和多田が被告人一四名の最後に立つてその意見を締めくくつていること。

以上の事実が認められる。

これらの諸情況を総合すると、被告人和多田が、第四インターにおいて指導的地位にあり、三派の共同作戦による本件犯行計画全体を知つていたことは明らかであると言わざるを得ない。したがつて、被告人和多田は、前田らと共同して本件各犯行を実行する意図で、同人らに前記の指示をし、同人らも右指示に従つて本件各犯行を実行したのであるから、被告人和多田が本件犯行の全部について共謀共同正犯としての刑責を負うことは当然である。

(二)  被告人佐藤の共謀

弁護人は、戦旗派の横堀団結小屋で判示のような指示をした者が佐藤であるとの証明はないし、仮に、被告人佐藤が右指示をしたとしても、本件管制塔襲撃計画を知つていたことの証拠がないので、被告人佐藤に共謀など成立するはずがなく、無罪であると主張する。

まず、右の指示をした者がだれであつたかについて、石山は、名前こそ知らなかつたが、それまで戦旗派の集会で被告人佐藤が演説したのを見ており、同人が演説をした幹部の中でも割に目立つ存在であつたことから、その顔をはつきり記憶していたこと、だから、横堀の団結小屋付近で同人から声を掛けられたとき、すぐにあの人だと分かつた旨述べていること、当公判廷においても、被告人佐藤の面前で、指示した者が同被告人であることを明確に証言していること、被告人佐藤はこれに対し一言も反対尋問をしなかつたこと等に照らし、指示をした者が被告人佐藤であつたことは明らかである。

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告人佐藤は、石山、水野、山下の三名に対し、判示のとおり、第四インター、プロ青同と共同して行う、開港実力阻止のための特別任務に就くべきことを指示し、「主体の飛躍をかけてがんばつてくれ。」と激励し、水野をリーダーに指名していること、更に、食料を「二食分ずつ」、懐中電灯を「一人に一本ずつ」(そのうちの一つは、炭坑夫が頭につけるような形のもの。)を持たせ、くつは運動ぐつではなく「キヤラバンシユーズがいいだろう。」、着替えとして「ズボン」を持つて行くように指示していること、第四インターでも、前田が高倉らに指示してズボンの替えを用意させていること。他方、地下排水溝は昼間でも真つ暗であり、水の深さはひざ辺りに達するところもあり、準備するよう指示された品物はいずれも、そこで一夜を明かすためには必需品とも言うべきものであつたこと。以上を要するに、佐藤が指示した内容は、本件計画を知らなければ指示できないようなものであつたこと。

(2) 被告人佐藤が石山らに対し右の指示をした時の態度は、ちよつとしたつまらない任務の話をするような軽い調子ではなく、その指示に従わざるを得ないような重々しいふん囲気であつたこと。また、その話しぶりからみて、佐藤は本件計画を知つていたように思うと、石山が述べていること。

(3) 第四インター、戦旗派及びプロ青同の三派の集合場所は事前に決定されていたが、このことは三派間で本件犯行の計画、準備、実行の謀議があらかじめ行われていたことを意味すること。一方佐藤は、活動歴もかなり長く、戦旗派において相当の地位を占める幹部であつたと認められることから、三派間の本件謀議の内容を容易に知り得る立場にあつたこと。

以上の事実が認められる。

これらの諸情況を総合すると、被告人佐藤が三派共同による本件管制塔襲撃計画を知つていたことは明らかであると言わざるを得ない。

したがつて、被告人佐藤は、右計画を知つた上、自らもこれに共同加功する意図で、石山らに指示し、同人らも右指示に従つて本件各犯行の実行に及んだものと認められるので、被告人佐藤が本件犯行全部につき共謀共同正犯としての刑責を負うことは多言を要しない。

(三)  共謀の解体

弁護人は、被告人前田ら一五名は、地下排水溝に入る際、仲間の一部が警察官に発見されたため、本件管制塔襲撃計画が発覚し、また、当初二〇名で計画し、三グループにまで分けた部隊編制も約五名が侵入できなかつたことにより不可能となつたと考え、当初の計画を断念し、退路を探したもののこれを発見できず、どうせ逮捕されるなら空港内へ出て機動隊と戦つて逮捕されようと考えて集水口から出たところ、意外にもその場に機動隊がいなかつたので、その場で新たに管制塔占拠を決意したのであつて、仮に被告人和多田、同佐藤が事前共謀に加わつたとしても、被告人前田ら一五名による実行行為の断念により事前の共謀が解消したものであるから、被告人和多田、同佐藤に共謀共同正犯としての責任を負わすことはできない旨主張し、右被告人両名を除くその余の被告人らはいずれも当公判廷で右主張に沿う供述をしている。

そこで検討するに、確かに、数名の者が突起口付近で警察官に発見されたため地下排水溝に入れなかつたことは判示のとおりであり、その結果地下排水溝内で管制塔襲撃計画を予定どおり実行するかどうかにつき協議がなされたことはうかがえる。しかし、(証拠略)を総合すれば、被告人前田は、右排水溝内において、被告人原らに対し「上に出たら管制塔に行く者は決まつているので、その他の者は援護するように。」と指示し、被告人高倉に対し、懐中電灯で図面を照らしながら、「ここから出て、この管制塔に入る。」と説明し、更に同人に「全員管制塔に入る予定だが、最初の五人ぐらいが管制塔突入の道を切り開く。次の五人ぐらいが管制塔へ突入して機械を壊す。残りの五人ぐらいはあとの防衛をする。お前は残りのグループの先頭になつてくれ。」と指示した上、集水口から地上に出る時刻を一時五分と決めたこと、その時刻は第九ゲートからトラツク部隊が侵入した時刻とほぼ一致していること、地下排水溝内に持ち込んだ凶器類は、一部の物、すなわちガスカツター一台(証拠略)、鉄パイプ一本(証拠略)、バール一本(証拠略)、火炎びん若干を除き、大部分を地上に搬出し、実際に管制棟一四階、一六階の機器を完全に破壊し得るに足る凶器類を管制棟に持ち込んでいること(一四階、一六階にはハンマー一本((証拠略))、バール一本((証拠略))、鉄パイプ六本((証拠略))を持ち込んだ。)、集水口から全員出たところで、被告人前田が「管制塔に侵入する。」旨の号令をかけ、それに応じて全員全くためらうことなしに素早く管理棟に向かつていること、その後の犯行態様を見ても、被告人一五名のうち五名が管理棟一階にとどまり検挙警察官をくぎ付けにし、他はエレベーターで昇つたグループと階段を三階まで駆け上つた後エレベーターで昇つたグループに分かれ、一四階の機器を破壊した後、六名が一六階管制室に入つて破壊行為を実行し、四名は一四階ベランダに残つて非常口のドアを押さえるなどして防衛的役割を演ずるなど、当初の三部隊編制と大体同一の形態をとつて本件犯行が実行されているように思われることなどの事実が認められ、これらの事実に、捜査段階で自白した被告人や共犯者らがいずれも当初の計画どおり実行することになつたと供述していること(証拠略)を併せ考えると、地下排水溝に入る際一部の者が突起口付近で警察官に発見されていることから、集水口から地上に出れば、そこには警察官が待ち構えていて逮捕されるかもしれないが、ここまで来た以上、当初の計画をできるところまで決行する以外に道はないという気持ちで、地上に出たことが明らかであつて、弁護人主張のように、当初の計画を実行することを断念した事実がないことは明白である。この点に関する被告人らの当公判廷における各供述は、右に述べたところに照らし信用し難い。

なお、弁護人は、被告人らはガスカツターを排水溝に置き去りにしたものであり、そのことは管制塔襲撃計画を断念したことを示すものであると主張する。しかし、右のガスカツターは、八七センチメートル×三二センチメートル×三〇センチメートルというかなり大きな物であり、重さは約三〇キログラムあり、実際に集水口から地上に運び出せたかどうかはしばらくおくとしても、それが本件計画の実現にとつて必要不可欠の物であるとは必ずしも言えないし、被告人らも、地上に出れば警察官が待ち構えているかもしれない状況下で、なるべく身軽に行動できるよう、必要最小限の物だけを持つて管制塔に突入しようと考えたものと認められる。したがつて、ガスカツターが地下排水溝で発見された一事をもつて、直ちに被告人らが本件計画を断念したものと言えないことは明らかである。

以上の次第で、弁護人の共謀に関する主張は、いずれも理由がない。

三  傷害罪の成否

弁護人は、判示第二の二の傷害の事実につき、警察官椎名政和が右手首、左膝部等に火傷を負うに至つた火炎びんの炎上は、被告人らが投げ付けたため生じたものではなく、警察官が警杖を振り下ろしたり、被告人らを逮捕しようとした際、被告人らの手などに触れたため、火炎びんが過つて床に落ち、その結果生じたものであるから、被告人らには傷害罪が成立しない旨主張する。

そこで検討すると、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  本件傷害の犯行現場である管理棟一階玄関ホールは、入口から向かつて(以下、位置、方向は同様の視点から見て言う。)幅約一〇メートル、奥行き約九メートルの広さで、床はピータイルが張つてあり、正面突き当たりに三台のエレベーターが並んでいるエレベーターホールであること。被告人原ら五名は、このホールに侵入したままそこにとどまつたが、問題の火炎びんが炎上する直前には左側エレベーター付近すみに壁を背にして並び、検挙のために現場に駆け付けた一〇名以上の警察官に取り囲まれていたこと、右被告人らは、警察官らが警杖を持つたり拳銃を構えたりしながら火炎びんを下に置くよう説得するのを無視し、鉄パイプを構え、火炎びんを投げるような気勢を示すなどして対峙していたこと。

(2)  そのうち警察官の一人が、右側から被告人ら集団の右端前辺りに行つて警杖を振り下ろし、これとほぼ同じころ他の一人の警察官が被告人らの集団と警察官らとの間を左方から右方に向かつて急いで逃げ出したが、その直後その逃げ出した場所付近で火炎びんが急速かつ広範囲に激しく炎上し、更に右側のエレベーター付近や右側壁付近の床でも炎上したこと。

(3)  問題の火炎びんが炎上したのは、警察官らの先頭に出た椎名が、被告人らを逮捕するため、接近して一人の体に手を触れた直後であり、炎上を始めた場所は、椎名の左斜めやや後方であつたこと。椎名は、炎上と同時に炎に包まれ、右後方に施回するように向きを変え、炎の向こう側を慌てて足を滑らせ、両手を付いてしまいながらも右方向に逃げ出したが、その際右手首や左膝部等に火傷を負つたこと。

(4)  被告人原ら五名は、椎名が逃げ出す直後ころから、エレベーターのある壁に沿つて炎の向こう側をゆつくり右に移動して現場から食堂へ退避しているが、この間、右被告人ら全員が火傷を負うことなく、また、着衣が燃えるようなこともなかつたこと。

(5)  被告人ら逮捕後の実況見分の際、左側エレベーター前付近床上に無傷の火炎ビン一本(証拠略)とその付近一帯からキリンビールとアサヒ生ビールのラベルが付着しているものを含むビールびんの破片多数及び栓二個(証拠略)が押収されていること。また、共犯者石山が右方すみに向かつて約六メートル遠方に投げた火炎びんがその下半分が壊れないまま残つてくすぶつていたこと。

以上の事実が認められる。

右事実によると、石山の投てきした火炎びんを除いて、少なくとも二本の火炎びんが椎名の左斜めやや後方で連続して発火炎上し、それによつて椎名が火傷を負つたこと、右の二本の火炎びんは投げられた距離が石山のものよりはるかに短いにもかかわらず、破損の程度は逆に石山のものよりはるかにひどく、ほとんど原型をとどめていないことが明らかである。そして、仮に被告人原ら五名のうちだれかが過つて火炎びんを落としたものであれば、その火炎びんは彼らの足元か、あるいは彼らと警察官との間に落下するであろうし、ピータイルの上で壊れたとしても、原型をとどめないほど粉々になるとは考えられないことを併せ考えると、右の二本の火炎びんが被告人原ら五名のうちのだれかによつて投げられたものであることは疑問の余地がない。もつとも、鈴木正幸の検面調書(証拠略)中には、警察官が丸太のようなもので赤ヘルグループの方を突き、その際火炎びんが床に落ちて燃え上がつた旨の記載がある。しかし、同人自身も当公判廷において、警察官が丸太のようなもので突いていたことの記憶はあるものの、それによつて火炎びんが落ちて炎上したことについてはつきりとした記憶があるわけではなく、丸太で突いていたのと相前後して火炎びんが炎上したことから、そうではないかと思つたということである旨述べていること、犯行現場付近に安全な形のままの火炎びん一本(証拠略)が遺留されていること、本件火炎びんの落下地点が、椎名の前方ではなく、左斜めやや後方であると認められること、それが原型をとどめないほど粉々に破損していること、被告人ら全員が火傷を負うことなく、着衣も焦がしていないこと、本件火炎びんの炎上直後、椎名が火だるまとなつて逃げ出したのと対照的に、原ら五名は慌てることなく壁伝いに食堂へ退避していること等の諸情況に照らし、いわゆる丸太で突かれて落ちた火炎びんが、椎名に火傷を負わせた火炎びんでないことは明らかである。

したがつて、弁護人の前記主張は採用できない。

四  航空危険罪の成否

弁護人は、判示第二の三の事実に関し、新空港は犯行当日の時点においては供用開始前であつたから、いまだ航空の危険を生じさせる行為等の処罪に関する法律一条にいう「飛行場」には当たらないし、被告人らは、本件行為によりなんら航空の危険を生じさせておらず、かつ、被告人らには右危険発生の認識もなかつたので、同法一条違反の罪(以下「航空危険罪」という。)は成立しない旨主張するので、これらの点につき順次判断する。

(一)  航空危険罪にいう「飛行場」に当たるか

航空の危険を生じさせる行為等の処罪に関する法律は、航空機の交通の安全を特に保護することを目的として制定されたもので、その立法趣旨からすれば、同法一条にいう「飛行場」とは、現実に当該施設が飛行場として航空機の離着陸の用に供されるよう設置されたもので、現に航空機の離着陸の用に供されているものであればよく、飛行場として供用されているものであるかどうかを問わないと解すべきである。(証拠略)によれば、新空港は、国際線専用の飛行場として設置されたもので、開港日を昭和五三年三月三〇日と定め、本件当日はいまだ供用開始前であつたが、既に昭和五二年一一月二六日運輸大臣による飛行場完成検査合格の判定を受け飛行場として完成していたこと、同年一二月二〇日から同空港の航空交通管制圏(いわゆる成田管制圏)が定められ、飛行場管制業務を開始したこと、同月二一日に騒音テスト飛行が実施されるとともに、翌二二日から昭和五三年二月二二日までの間、日曜・祭日を除く毎日、いわゆる慣熟飛行が行われ、滑走路を使って離着陸が繰り返されたこと、本件当日の二、三日前に警察のヘリコプターがエンジンの故障により同空港に緊急着陸したことがあつたこと、本件当日も多数のヘリコプターが成田管制圏に飛来しており、その一部が実際滑走路等の同空港の施設を使用して離着陸や駐機をしていたこと、本件犯行が行われたのは供用開始のわずか四日前であつたこと、調布飛行場は供用開始されていないのに飛行場管理業務が行われていることなどの事実が認められ、これによれば、本件当日の新空港が同法一条にいう「飛行場」に当たることは明らかである。

(二)  航空危険の存否

1 国際対空通信業務の妨害と航空危険

判示第二の三の(一)の認定に供した前掲各証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 新空港では、昭和四七年一一月国際対空通信局が羽田から移転し、新空港準備室において国際対空通信業務が開始され、昭和五二年一一月開港を翌昭和五三年三月三〇日にする旨宣言され、昭和五二年一二月二〇日新空港事務所が発足して右準備室の国際対空通信業務を引き継ぎ、本件当日に至つたこと。

(2) 国際対空通信業務とは、国際航空路を航行する航空機の安全と円滑な運行を維持するため、新空港事務所保安部所属の管通官が東京FIR(我が国の加入している国際民間航空条約に基づき、国際民間航空機関によつて日本が航空管制業務を担当すべきものとされている空域中、東京ACCが管轄する北緯二七度・東経一六五度、北緯四三度・東経一六五度、北緯五一度・東経一五八度、北緯四五度四五分・東経一四〇度、北緯三八度・東経一三三度、北緯三〇度・東経一二五度二五分、北緯二一度・東経一三七度等の各点を順次結んだ線内の空域)内の超短波が到達しない遠隔洋上を航行している航空機と短波無線電話で交信を行う業務であつて、その内容の主なものとしては、航空機からの現在位置、予定通過位置・時刻、残存燃料、速度等に関する通報(位置通報)や事故・故障等に関する通報、高度・航空路等の変更承認を求める通報とこれに対する東京ACCの回答や指示を伝達する通報など航空機の操縦士等と東京ACCの管制官との中継を行う場合と、航空機からの照会に応じ、あるいは必要に応じ、独自に気象情報等を与える通報をする場合とがあること。

(3) 東京FIR内を音速に近い高速度で飛行している多数の大型ジエツト機は、すべて計器飛行方式により、管制官の承認若しくは指示する航空路、高度及び速度により、航行していること、管制官は航空機からの位置通報により各航空機関に所定の管制間隔を設定することによつて航行の安全を確保するとともに、航空機に対し、悪気象(乱気流・着氷・雷電等)空域を回避させ、緊急状態又はそのおそれのある場合の援助措置を講ずるようになつていること、東京FIR内の遠隔洋上を航行する飛行機と東京ACCの管制官とは、前記のとおり、新空港の管通官の中継によつて航空交通管制に関する通信等を確保する制度となつていることから、右航空機の航行の安全を確保するためには、管通官との交信が確保され、しかも、それが迅速かつ的確に処理されることが必要不可欠の条件となっていること。

(4) 新空港の管通官は、右の国際対空通信業務を行うため、管理棟六階の運用室で二四時間交替制勤務をしているが、東京FIRを北緯三七度線で南北に二分し、北半分を北太平洋地区(NP)、南半分を中西部太平洋地区(CWP)と呼び、それぞれの区域内を飛行する航空機との通信に用いるため、NP卓及びCWP卓を設け、各卓に管通官が配置されていること、管通官が洋上を航行する航空機の操縦士との交信に使う短波無線電話は、管理棟一四階に設置されたマイクロウエーブ送受信装置により、送信の場合は茨城県所在の筑波中継所を経由して同県所在の友部航空無線通信所から、受信の場合は埼玉県所在の坂戸無線通信所から東久留米、蟹ヶ谷及び筑波の各中継所を経由して、それぞれ送受信される仕組みになつていること(以下「メインHF」という。)、右の交信に使用される短波の周波数は、時々刻々変化する気象条件に照らし最も効率のよい周波数を使用するために、NP卓では五周波数、CWP卓では六周波数を割り当てられており、各操作卓ではボタン一つですぐにどの周波数でも選び出せ、即時に交信することができるようになつていること、なお、管通官は、右交信と同時に、その交信内容をテレタイプで記録する(証拠略)とともに、東京ACCや航空会社等の関係機関に即時電送していること。

(5) 国際対空通信の行われる範囲にはレーダーが届かないので、管通官は、レーダーに代わるものとして、航空機の呼出符号、出発地、目的地、出発予定時刻、通過予定時刻、高度などを航空機ごとに書き込んだ紙片(証拠略)を各操作卓に張りつけて、受け持ちの航空機の運行状況が一見して分かるようにし、位置通報が入る度にこれに記入し、東京ACCや隣接のアンカレツジやホノルルのACCとの引き継ぎを確実にするように配慮していること。

(6) 本件当日は、午後一時二〇分ころ、NP卓で管通官中山傑が同一航空路上の九機の、CWP卓で同馬上憲一がやはり同一航空路上の二機の、それぞれ洋上を航行中の大型ジエツト機を担当して国際対空通信業務を行つていたが、「過激派が侵入したので戸締りを厳重にするように。」との館内放送があつたため、右管通官らは席を立つて扉に机でバリケードを築くなど同室内も騒然となつていたところ、判示のとおり、被告人前田ら一〇名が、午後一時二〇分ころから三〇分ころまでの間に、一四階のマイクロ通信室に侵入してマイクロウエーブ送受信装置及び導波管を鉄パイプ等でたたき、また、火炎びんを炎上させるなどして破壊し、更に一四階北西側ベランダ上の筑波向けパラボラアンテナ及び導波管を鉄パイプやハンマーで破壊したために、同日午後一時二三分ころ筑波中継所とのマイクロウエーブ回線が切断され、メインHFを使用しての航空機との交信が不能となつたこと。

(7) このため、中山管通官らは、急いで別の短波送受信装置(以下「成田ローカル」という。)に切り替えたが、これはメインHFの直接の予備装置としてではなく、飛行前検査のため、近距離かつ単発的に離陸前の航空機と交信するため設置されたものであるので、出力がメインHFの五分の一で、しかも、一度に一周波しか送信できない上に、相手方航空機の周波数に合わせるための切り換えに約七秒間を要し遅延を生じたこと、加えて、東京ACCとの連絡も、即座につながる専用無線電話二台の使用が不可能となつたため、ダイヤルを回して相手を呼び出さねばならない商業電話一台による通話を余儀なくされ、手間どるようになつたこと。

(8) 中山管通官は、そのころ東京ACCや関連航空会社等にテレタイプで成田ローカルを使用している旨の警報を打つたが、テレタイプの入力符号を打ち忘れ、そのため結局送信されず、また、アンカレツジ、ホノルル等の各国際対空通信局に対し、「すべてのメインHFの送受信機が使用不能。限定された出力と通信範囲で業務を続行している。」との業務上の電報を打つて援護を求めたが、右電報を四回も打ち間違えたこと、また、同室内全体が今にも過激派に襲われるのではないかとの不安な気持や室内を行き来する人たちで混乱状態となり、中山管通官は扉を見たり外を見たり、超短波卓の交信を代わるなどし、NP卓での通信作業が十分果たせないような状況になつたこと。

(9) 東京FIR内を航行する航空機は、東京ACCに対し、太平洋上の定められた位置を通過する際、所要事項を通報することが義務付けられているのであるが、右の位置通報の交信ができなかつたり、連続して二〇分から三〇分遅れて受信するような状況であつたこと、位置通報が予定時刻から三〇分過ぎてもない場合は緊急状態とみなされ、第一段通信捜索を開始することと定められていること。

(10) CWP卓では午後二時ころ三浦管通官が交代し業務を続け、午後二時四〇分ころ周辺の対空通信局に「メインHFの送受信機はまだ使用不能。限定された出力と通信範囲で運用している。援助されたい。」旨の電報をテレタイプで打つたこと。

(11) その後一波しか送信できないことから、使用周波数を八九三九キロヘルツ一波に限定することにした上、CWP卓分もNP卓で合わせて処理することとしたこと。

以上の事実を認めることができる。

ところで、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律一条にいう「航空の危険を生じさせた」とは、航空機の衝突、墜落、破壊、火災等の事故発生の可能性のある状態を生ぜしめることをいい、現実に事故が発生したことを要するものでないことはもちろん(同法律二条二項参照)、事故発生の必然性とか蓋然性も必要でないものと解すべきである(東京高等裁判所昭和五四年一〇月三〇日判決、高刑集三二巻三号二五七頁参照)。そして、航空交通の発達に伴い、多数の大型の航空機が、東京FIR内の遠隔洋上を、音速に近い高速度で入り乱れて飛行するようになつた現在、もはや航空機の乗務員だけで航空機を安全、円滑に運行させることは不可能となり、航行の安全と秩序を維持し、航行に起因する障害の防止を図るためには、地上の航空交通管制担当者と迅速かつ的確に連絡を取り合えることが必要不可欠の条件となつてきているから、右に認定したように、被告人らによる筑波向けマイクロウエーブ送受信装置の破壊によつて、管通官をして混乱状態に陥れ、また、性能が格段に劣る成田ローカルの使用を余儀なくさせた結果、国際対空通信の正常な業務が著しく阻害されるに至つたことは明らかであり、これがひいては航空機の衝突、墜落等の事故発生を引き起こす可能性のある状態になつたものと言うことができる。

2 飛行場管制業務の妨害と航空危険

判示第二の三の(二)の認定に供した前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 運輸省は昭和五二年一二月二〇日管理棟内に運輸省東京航空局新東京空港事務所を設置し、同月一九日付けで指定された成田管制圏(新空港の標点を中心とする半径九キロメートルのほぼ円型地域の上空九〇〇メートル以下とされている。)の飛行場管制業務を同月二〇日以降毎日午前九時から午後五時まで行わせることとしたこと。

(2) 右の飛行場管制業務とは、新空港事務所管制部所属の管制官が、成田管制圏に飛来し、あるいは新空港及びその周辺に離着陸する有視界飛行方式の航空機に対し、超短波無線電話により入出圏の許可、離着陸の順序・時期・方法等の管制指示を与えるとともに、風向・風速・気圧等のほか他機の交通状況に関する飛行情報を提供するものであること。

(3) 本件当日も木島勝彌ら四名の管制官が、管理棟一六階の管制室で、飛行場管制卓(ローカルコントロール卓)、地上管制卓(グランドコントロール卓)、連絡調整卓及び監視卓に着いて管制業務に従事していたこと。

(4) ところが、被告人前田ら一〇名は、午後一時二〇分ころから二五分ころまでの間に、管制室入口の電子ロツク式鉄製扉を鉄パイプ等で激しくたたいたり、付近に火炎びんを投げつけ炎上させるなどして室内に煙を充満させ、木島管制官らをして極度に畏怖せしめ、管制室での業務続行を断念させ、同一時三〇分ころ、天井の脱出用ハツチから屋上に避難せざるを得なくさせ、その後間もなく被告人前田ら六名が管制室北西部外壁の二枚重ねのガラスを打ち破つて室内に侵入して管制室を占拠し、同所に設置され、作動していた飛行場管制卓その他各種の管制機器類を所携のハンマー、鉄パイプ等で手当たり次第に徹底的に破壊し、そのため飛行場管制は完全に不能となつたこと。

(5) このため犯行直前まで(当日午後一時から同一時三〇分までの間)管制を受けていた約七機のヘリコプターは、すべて飛行場管制を受けることができなくなり、これを代替若しくは補充する航空管制もなかつたこと。

以上の事実が認められる。

ところで、飛行場管制は、多数の航空機が発着する飛行場及びその周辺における航空交通に秩序を与え、航空機の航行の安全と事故の発生を防止するために必要欠くべからざるものであるから、右に認定したように、被告人らの本件犯行によつて、管制業務に従事していた管制官全員が屋上に退避を余儀なくされた上、管制機器類がことごとく破壊された結果、飛行場管制業務の遂行が完全に不可能となり、航空機が管制官の指示等を受けられず、もつぱら操縦士自身の視界と判断で離着陸や飛行を行わざるを得なくなつたことは、とりも直さず、これら航空機の衝突、墜落等の事故発生を引き起こす可能性のある状態を生じさせたものと言うべきである。

なお、弁護人は、ヘリコプターは有視界飛行方式により航行していたから、これに対する飛行場管制業務は副次的なもので、ヘリコプターの運航に必要不可欠なものではなかつた旨主張するが、管制官による風向、風速に関する情報、他機の交通状況に関する飛行情報の提供などの飛行場管制が、ヘリコプターの航行の安全確保に重要な役割を果たしていたことは疑問の余地がないし、また、このような飛行場管制が突然なんの予告もなしに行われなくなること、それ自体が、事故発生の一般的可能性を生ぜしめたものと言うべきである。

(三)  航空危険の認識

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和五二年一一月二五日政府は新空港の供用開始日を昭和五三年三月三〇日とし、いわゆる年度内開港を決定したが、被告人らの所属する党派は、いち早く年度内開港の日程を予想し、問題点を機関紙に掲載し(証拠略)、当面の闘争目標として慣熟飛行阻止に全力をあげる旨の呼びかけを行つていたこと。

(2) 昭和五二年一二月二〇日成田管制圏が設定され、以前から行われていた国際対空通信業務とともに、飛行場管制業務が開始され、騒音テスト飛行、慣熱飛行が始まつたことが新聞・テレビなどで広く報道されたこと、特に慣熟飛行については、同月二二日から翌五三年二月二二日まで、日曜・祭日を除く毎日、管制塔の管制官の管制を受けて実施されたことから、これに関する報道は度々かつ詳細になされていたこと(例えば、新聞報道では、「管制塔も本番なみ」「管制業務も始まる」などの大見出しや「コントロールルームで初仕事をする管制官」と写真入りで、成田に管制官五八名が配置されていることや、「初交信『こちら成田』」の大見出しで、大型航空機と管制官との交信の内容を「……現在空港の西五マイル、着陸したい。」「……三マイルまで進行して報告せよ。」「着陸準備よろしい。風向北西、風速ゼロ」などと詳細に記載した記事などのほか、大型ジエツト機が離着陸のため低空を飛行している写真を掲載していた。)。

(3) これに対し、党派の機関紙によれば、被告人らの所属する党派は、これを「予備開港」「事実上の開港」と受け止め、新空港消防署へ火炎びんを投下したり、山田レーダー基地を焼き打ちにしたり(証拠略)、慣熟飛行のために同空港に離着陸する大型航空機の飛行に対し、気球を揚げたり花火を打ち上げたりして飛行を妨害する(証拠略)などの実力阻止闘争を展開していた旨の記事が掲載されていること。

(4) 被告人らは、犯行の数年前から新空港建設に反対するいわゆる成田闘争に真剣に取り組んでおり、新空港の整備・運用状況に多大の関心を抱き、成田の現地にも度々赴き、三里塚芝山連合空港反対同盟所属の農家に泊り込んで農作業を手伝つたり、各党派の団結小屋に泊り込んで慣熟飛行阻止闘争に参加していた者もあること、また、開港への動向につき遂一報告される所属党派の機関紙を熱心に読んでいたと認められること、更に、一般紙に掲載された関連記事についても、これを多数集めた資料集が党派の活動として作られたり、あるいは個人的に右記事の切り抜きをしていた者もあること。

(5) 被告人らの所属する党派は、新空港開港阻止を最大の闘争目標に設定し、空港を包囲し、これに突入、占拠して廃港に追い込む旨の宣言を行い、昭和五三年三月二六日から四月二日までの連続実力闘争の日程を組み、四月二日には一番機の離着陸実力阻止闘争も予定されていたこと。本件犯行は、その一還として行われたものであり、当日行われた三つの作戦の中でも最も重要なものとされ、新空港の中枢である管制塔に突入し、管制機器類を破壊して、飛行場としての機能を失わしめることを目的としていたこと。

(6) 本件当日も相当数のヘリコプターが飛来しており、一部は新空港に離着陸したり、駐機したりしていたこと。そして、被告人の中には、ヘリコプターについても、飛行場の中を飛ぶ場合は、管制塔の管制を受けているだろうと思つた旨述べている者もいること(証拠略)。

(7) 被告人前田、同太田、同水野、同児島、同中川、同平田、同小界、同中路、同山下については、共犯者の藤田とともに、管制棟一五階の管制室入口付近で、管制官らが長いすなどを一六階から投げ下ろしてバリケードを築くなどしたことから、犯行当時管制官が管制室で勤務に就いていたことを十分知つていたこと、一四階と一六階では通信装置や管制機器類のランプの点燈状況、作動音、破壊されるとき発する火花等により、これらの装置等が作動中であつたことは、たれでも一見して分かつたと思われること。

以上の事実が認められる。右の各事実に捜査段階における被告人原、同中路、同高倉の各供述及び共犯者藤田、同石山の各供述を併せ考えれば、開港をわずか四日後に控えた本件当日、新空港は人的、物的条件を完備し、管制塔には管制官等の係員が配置に就き、管制機器類等を使用して航空管制業務を行つていたことを承知していたことは明らかであるから、被告人らが右管制塔を占拠、破壊すれば、管制官らの業務が不能もしくは著しく困難となり、新空港を利用し、あるいは利用しようとする航空機が、航行の安全にとつて必要不可欠な管制を受けられないことになり、衝突、墜落等の事故発生の可能性のある状態に置かれることも当然予見していたと認められる。この点に関する被告人らの当公判廷における各供述は、他の関係証拠に照らし、措信できない。

以上の次第で、航空危険罪についての弁護人の各主張は、いずれも採用できない。

五  正当行為(抵抗権)の主張について

弁護人は、被告人らの本件各行為は、政府、新東京国際空港公団が、住民の意思を全く無視し、違法不当な方法により農民の土地を奪つて空港を建設し、開港を強行しようとしたために、やむを得ず採られた実力行使であつて、抵抗権の行使にあたるから違法性が阻却されると主張する。

しかし、仮に抵抗権の観念を認めるとしても、それは、憲法秩序そのものが破壊されるような重大かつ明白な侵害が国家権力によつて行われ、憲法の存在自体が否定されようとする場合に、これに対し実力で抵抗することが正当な法秩序を回復するため真にやむを得ないと認められるような極めて例外的な場合に限られるものと解すべきであり、関係各証拠によつても、被告人らの本件犯行が右の場合に当たるとは到底認められないので、右主張は採用できない。

六  公訴権濫用の主張について

弁護人は、被告人和多田及び同佐藤に対する本件各公訴提起は、共犯者佐藤正廣が、被告人和多田の指示を受け、被告人前田らとともに、管制塔へ進撃する目的で凶器を準備して突起口へ入ろうとしたところで逮捕されながら、航空危険罪等の本件公訴事実については公訴を提起されていないこととの比較において著しく均衡を失し、また、三里塚反対闘争に参加した側の者が高率で起訴されているのに対し、これを制圧する国家権力側の違法行為がなんら刑責を問われていないことからも差別的起訴であり、公訴権を濫用したものとして公訴は棄却されるべきであると主張する。

しかし、判示のとおり、被告人両名が、いずれも第四インター及び戦旗派において指導的地位にあつた者であり、他の共犯者らに指示することによつて、彼らをいわばその手足として利用して自己の意思を実現したものであること、その他本件犯行の組織性、規模、態様等から見て、客観的な起訴基準を逸脱し、政治的に弾圧する目的で差別的に起訴したものであるとは認められず、また、審判の対象とされていない他の被疑事件についての公訴権の発動の当否を軽々に論定することは許されない(最高裁昭和五二年(あ)第一三五三号同五五年一二月一七日第一小法廷決定・刑集三四巻七号登載予定参照)ところであるし、その他右公訴の提起手続を違法ならしめる事由をうかがわせる証拠はないから、弁護人の主張は採用することができない。

(累犯前科)

被告人和多田は、昭和四五年二月二〇日東京地方裁判所で兇器準備集合、建造物侵入、公務執行妨害罪により懲役二年に処せられ(昭和五〇年一一月二二日確定)、昭和五一年九月三〇日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右事実は検察事務官作成の同被告人に対する前科調書及び同被告人に対する東京地方裁判所の判決書謄本によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人らの判示第一の所為はいずれも刑法六〇条、二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の一の所為はいずれも刑法六〇条、一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の二の所為中火炎びん使用の点はいずれも包括して刑法六〇条、火炎びんの使用等の処罰に関する法律二条一項に、公務執行妨害の点はいずれも刑法六〇条、九五条一項に、傷害の点はいずれも同法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の三の所為中火炎びんの使用の点はいずれも包括して刑法六〇条、火炎びんの使用等の処罰に関する法律二条一項に、集団的毀棄の点はいずれも包括して刑法六〇条、暴力行為等処罰に関する法律一条(刑法二六一条)、罰金等臨時措置法三条一項二号に、建造物損壊の点はいずれも刑法六〇条、二六〇条前段に、威力業務妨害の点はいずれも包括して刑法六〇条、二三四条、二三三条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、航空の危険を生じさせた点はいずれも包括して刑法六〇条、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律一条にそれぞれ該当するところ、判示第二の二の火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反と公務執行妨害と傷害とは一個の行為で三個の罪名に触れる場合であり、判示第二の三の火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反と暴力行為等処罰に関する法律違反と威力業務妨害と航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律違反とは一個の行為で四個の罪名に触れる場合であり、更に、判示第二の一の建造物侵入の罪と判示第二の二及び三の各罪との間にはいずれも手段結果の関係があるので、刑法五四条一項前段、後段、一〇条により結局以上判示第二の一から三までの各罪を一罪として最も重い判示第二の三の航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律違反の罪の刑で処断することとし、判示第一の罪については所定刑中懲役刑を選択することとする。

被告人和多田には、前記前科があるので、刑法五六条一項、五七条によりいずれも再犯の加重をし(判示第二の罪については刑法一四条の制限内で)、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の三の航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律違反の罪の刑に刑法四七条但書及び一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人和多田を懲役一〇年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

被告人和多田を除くその余の被告人につき、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の三の航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律違反の罪の刑に刑法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人佐藤及び同前田をいずれも懲役九年に、被告人水野及び同太田をいずれも懲役七年に、被告人児島、同中川、同平田、同山下、同小泉及び同中路をいずれも懲役六年に、被告人原、同津田及び同高倉をいずれも懲役四年にそれぞれ処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中被告人佐藤に対し二二〇日、その余の被告人に対しいずれも四五〇日をそれぞれその刑に算入する。

訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担表のとおり各被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、第四インター、戦旗派及びプロ青同の三派に所属する被告人らが、新空港の開港をあくまで阻止しようとする政治的主張を実現するために、共同して、過激な暴力的行為に出たという事案である。しかし、新空港は、国家的事業として、政府によつて合法的に決定されたものであり、国会における審議、関連法案の成立及びその執行など、議会制民主主義のルールにのつとり建設されたものである。民主主義は価値の多元性を前提とするから、被告人らの新空港建設に反対する意見は、これに賛成する意見と同様に、尊重さるべきである。しかし、自己の主張を絶対化し、その立場に固執し、暴力によつて自己の目的を達成しようとする行為が許さるべき筋合のものでないことは多言を要しない。民主主義は狂信とは無縁のものである。右にせよ、左にせよ、「大義は我にあり。」といつた狂信的な正義感ほど恐ろしい結果をもたらすものはない。被告人らは、まずこの点において厳しく指弾されなければならない。

次に、犯行の態様を見るに、本件は、事前に地下排水溝の状況を踏査し、鉄パイプ、火炎びんなど、過激派が通常に用いる凶器のほかに、大ハンマー、バール、ガスカツター、更には地下排水溝から地上の共犯者らと通信連絡を取るためと推定される無線機まで準備し、警察側の規制に対抗するため、突撃隊、防衛隊、遊撃隊の三つに部隊編制し、前の晩、あらかじめ、新空港内に通ずる地下排水溝に入つて一夜を明かし、第九ゲート部隊などの同時多発的な行動開始に伴う警備の混乱のすきに乗じ、管制塔近くのマンホールから地上に忍び出て管制塔に突入するなど、綿密かつ巧妙な計画と周到な準備の下に敢行された大規模な集団的・組織的犯行であること、白昼公然と新空港の中枢である管制塔を襲撃し、これを占拠、破壊し、一四階、一六階付近一帯を一瞬のうちに混乱状態に陥れ、航空交通管制制度の機能を停止させ、成田管制圏及び東京FIR内を航行する多数の航空機に航空の危険を生じさせ、火炎びんにより警察官一名に火傷を負わせ、最上階の一六階にいた管制官らをして地上六〇数メートルの囲いのない屋上に退避することを余儀なくさせ、ヘリコプターで救出されるまでの約二時間死の恐怖を味わわせ、物的設備に膨大な損害を被らせ、国民多数に衝撃と不安を与え、予定された開港が大幅に遅れたことにより、関係者多数に深刻な被害を与えるとともに、我が国の国際的信用を著しく失墜させるなど、発生した結果は重大であり、与えた影響は広範囲に及んでいること、大型ジエツト旅客機等が音速に近い高速度で複雑に飛び交つている今日、航空の危険がひとたび現実となつた場合の悲惨な結果を考えるとぞつとすること、被告人らには、自らの行為によつて発生した結果に対して謙虚に反省し、責任をとるといつた心情は全く認められず、このような被告人らの態度からは、今後同種犯行を繰り返すおそれも認められること、被告人らによつてなんら被害の弁償等はなされていないこと等の事情がうかがわれ、これらによれば被告人らの刑事責任はなんとしても重いと言わざるを得ない。

そこで、被告人らの個別的情状を見ると、被告人和多田は、本件当日同時多発した一連の、いわゆる三・二六成田事件全体を掌握した上、主力部隊である第四インター所属の被告人らに本件犯行を実行するように指示したのであるから、本件における刑事責任を論ずるに当たつては、和多田が共犯者中最も重い責任を負うべき立場にあることは明らかであり、同種の累犯前科があることも看過できない。被告人佐藤は、三派共同作戦の一翼を担つた戦旗派の幹部として、犯行に必要な品物の調達、実行部隊のメンバーの選択、確保、そのリーダーの指名など、本件犯行計画の準備及び遂行において重要な役割を果たしたものであり、同種事犯により執行猶予中の身でありながら本件犯行に加わつたものであることを考慮すると、その責任は、被告人和多田に次いで重いと言わざるを得ない。被告人前田は、第四インターのみならず、戦旗派及びプロ青同の実行部隊全員に対し、事前に犯行の具体的方法を指示説明した上、行動隊長として、終始実行部隊一五名の行動全般を陣頭指揮し、自ら管制室の破壊行為を率先してなし、本件犯行を完遂させたものであつて、同種事案で千葉地方裁判所に公判が継続中に本件犯行を犯したものであることをも併せ考えると、その責任は和多田に次いで重く、佐藤と並ぶものと言わなければならない。被告人水野は、戦旗派の現場リーダーであつて、自らマイクロ通信室や管制室の機器等を率先して破壊し、被告人太田は、プロ青同の現場リーダー的存在であり、パラボラアンテナの支柱を伝つて真つ先に一六階管制室のガラスを打ち破つて侵入しているなど、いずれも航空危険罪の実行正犯中指導的役割を果たしたもので、その責任は佐藤、前田に次ぐものと考えられる。被告人児島、同中川、同平田、同山下、同小泉及び同中路は、それぞれ一四階あるいは一六階において機器等を破壊したり、管制室入口付近に火炎びんを投げつけるなどした者で、全員航空危険罪の実行正犯であつて、本件における最も重要な実行行為に直接関与しているので、その責任は一階で逮捕された被告人らに比べ格段に重いものがあると認められる。最後に、一階で逮捕された被告人高倉、同原及び同津田については、航空危険罪の実行行為には直接関与しなかつたものの、防衛隊として、前田ら一〇名がエレベーターなどを利用して一四階、一六階の破壊活動に向かつた後、一階エレベーターホールにおいて、火炎びんを投げ付けるなどして警察官がその阻止に赴くのを妨害し、前田らの犯行完遂を援護したものであるから、その責任は航空危険罪の実行正犯に次いで重いと言わなければならない。

そこで、被告人和多田、同佐藤、同前田を除くその余の被告人らには、さしたる前科、前歴もないこと、被告人らは全員相当期間勾留されていること、本件犯行は被告人らの私利、私欲から出た犯行ではないこと、大部分の被告人は春秋に富む青年であつて、その中には犯行の前日突然指名を受けて本件犯行に加わるに至つた者もいることなど被告人らに有利な諸事情をも考慮して、主文のとおりの刑を量定したものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 花尻尚 三上英昭 山田公一)

訴訟費用負担表(略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例